お亀が磯伝説

私が祖父から聞いた伝承では、その島の頂きには、ゑびす神社があって、そこには、鹿の頭の剥製が飾られてあった。その鹿の顔が赤くなったら、島が沈むと言い伝えらていた。いたずらな若者が鹿の顔をべんがらで赤く塗ったら、本当に島が沈んでしまった。

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  12. お亀が磯伝説によく似た説話が『今昔物語集』にあります。巻第十の第三十六話「嫗毎日見卒塔婆付血語」です。「今は昔、震旦の----代に、----州という所に大なる山有り」という書き出しで始まり、震旦(つまり、中国)での出来事であるとされていますが、時代と場所が空欄のままです。あとで正確なことが判明したら、記入しようと思って空欄にしていたところが、判明せずじまいだったのでしょう。あるお婆さんが毎日欠かさず、山の上にある卒塔婆を見に来る。もし、卒塔婆に血がついていたら、この山は崩れて、深い海になってしまうという言い伝えを信じて、雨の日も、風の日も欠かすことなく、チェックしに登ってくるのです。それを見ていた悪戯者が卒塔婆に血を塗りつけたところ、。。。(以下、お亀が磯伝説とほぼ同文)です。実は、お亀が磯伝説に類似した説話は、中国、朝鮮半島、日本の各地に広く伝わるものであり、阿波に限った説話ではないのです。よく知られているところでは、安徽省の歴陽湖伝説です。石亀の目が赤くなったら、村が水没して湖になる話は、『捜神記』(岡本綺堂訳)にも出ています。中国、ベトナム、台湾で領有が争われている西沙諸島(パラセル諸島)にもお亀が磯型の伝説が伝わります。このことは、長谷川@望夢楼さんの『幻想諸島航海記』に教えられました。しかし、いたずらに類例を列挙してみても詮のないことであり、重要なのは、その説話の発信源がどこであり、いつの時代のことなのかを突き止めることにあります。再び、『今昔物語集』に話を戻しますが、巻第十の第三十五話に「国王、百丈の石の卒塔婆を造りて、工を殺さんとする語」というのがあります。第三十六話と同一の取材元から得られた記事と思われます。その国王、職工が他国にも同様の卒塔婆を建設したら、自国の不利益になると考えて、卒塔婆が完成したとき、その職工を殺そうとした。しかし、その職工の妻が賢い人だったので、その入れ知恵により、難を逃れた、というお話です。この話からすると、その当時、中国には統一王朝がなかったことになり、どうやら、春秋戦国時代の出来事であるらしく思われます。その国王とは、私が思うに、おそらく、秦王政です。『史記』にこんな話があります。秦王政は、韓の水利技術者、鄭国を雇って、渭水の上流にある支流涇水から、渭水の下流にある支流洛水に至る灌漑用水路を造らせる。(鄭国渠略地図)しかし、その鄭国、韓王が秦に無駄な大工事をやらせて、秦の国力を弱めさせよう企てて、秦に送り込んだ間諜であることが発覚し、鄭国を処刑しようとする。そこで鄭国は、弁明する。「この工事は、決して無駄な大工事ではない。完成すれば、秦に莫大な利益をもたらすことになる」 秦王政は、鄭国の弁明を聞き入れ、工事を続行させた。この鄭国渠は、1985年の調査で、涇水を堰き止めていたダムの遺構の一部が発見された。(鄭国渠ダム堰堤残蹟)堰堤の全長2300m、幅120m、総貯水量1500万㎥と推定された。比較的浅くて、広いダム湖だったのです。(鄭国渠ダム推測復元図) このダムは、赤土と石だけで築かれていたのであり、毎日、保守点検を怠りなくやっていても、いつかは崩壊する日が来るのを設計者鄭国は、知っていただろう。「石垣の隙間から赤い水が漏れ出てきた日には、もう手遅れだ。それは、堰堤内部に空洞が生じて、水が浸透している証拠であり、もう補修もできない。大洪水が涇水流域の村を呑み込むことになるから、すぐに高いところに非難しなさい」そんな遺言を残して鄭国は、亡くなったのではなかろうか?おそらく、鄭国の墓は、このダムの堰堤の上にあったと思います。私が鄭国の立場であったなら、必ず、そうする。自分の死後、ダムの崩壊によって、大惨事が発生する。それが気がかりでならないからです。なんとしても、最後までダムの崩壊を喰い止めたい。食い止めきれなかった場合は、自分の墓も洪水に流されて跡形もなくなるだろう。ああ、それでもいい。。。 そんな鄭国の最期の痛切な思念が私の胸には、伝わってくるようです。

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